おせちの歴史とは?なぜお正月におせち料理なの?

■お正月の食卓を彩るおせち料理。
日本料理店監修の既製品が登場し家庭で作ることも減ってきたといわれていますね。
また、有名中華料理店やフランス料理店が手掛ける新しいおせち料理のスタイルも定着しつつあるようです。

現代的なおせち料理で新年を祝うのも良いですが、和食は2014年にユネスコの無形文化遺産に登録された日本の誇り高い食文化でもあります。
新年を迎える良き日に、日本人が作り伝えてきたおせち料理について見なおしてみませんか?

「おせち」は漢字で書くと「御節」と書きます。
本来は、一年の大切な節目である1月1日の元旦と、平安時代の暦で1月7日の人日、3月3日の雛祭り、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、9月9日の重陽の節句(これらを「五節供」の「節日」といいます。)に食べられていたのだそうです。
この「節供」という言葉は、神様へのお供え物という意味でもあり作物の収穫を神様に感謝して捧げる料理でもありました。

現在のように、元旦に食べるお料理のことを指して言うようになったのは江戸時代のことですが、その頃は料理を重箱に入れておらず、また「おせち料理」とは呼んでいませんでした。
関東では「食積」、関西では「蓬莱飾り」と呼んで三方(神棚に供物をお備えするときに使う台のこと)に飾ったお料理を食べていたそうです。
重箱に入れるようになったのは、明治時代からのことで、一番上の「一の段」には酒の肴になる数の子やごまめなどが入る「祝い肴」、「二の段」には伊達巻やかまぼこなどが入る「口取り」、「三の段」にはぶりや鯛など海の幸が入る「焼き物」、「与の段」(「四」を嫌い「与」としていました。)には煮しめなどの「煮物」を詰めるようになりました。

これらの料理が「おせち料理」と広く呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦が終わり百貨店で正月料理を販売するようになったときに、箱詰めにした正月料理を「おせち」という名前で売り出したのが呼び名のはじまりと言われています。意外と、近年のことだったことに驚かされますが、平和な日本の象徴的誕生であったことも感慨深いところです。

ちょっとでも、歴史と由来を知ることでこれまでよりも一層おせち料理を深く味わうことができそうですね。